『福音』〜levanter〜


翻るのは、真紅の旗。
大きな街市から、小さな邑へ。大通りから路地裏へ。
その喜びを伝えながら、歓声が拡がっていく。
大人たちの顔からほころぶ喜びの表情を縫いながら、子供たちは旗を振る。
燃えるような真紅の、旗を。

「王が立ったぞ!」
「新王の践祚だ!」
その報せは、人々の口から口へと伝わって、堪えきれない歓喜の調べを奏でていく。
人々は肩を抱きあい、時には涙を流して、自分たちに与えられた僥倖を寿ぎ合った。
いま、十二国で最も幸福な瞬間を迎えているのは自分たちなのだという、疑いのない誇りを胸に彼らは、その最も確実な根拠を確かめ合うように口にする。

「女王だ!」
「新王は女王だ!」
「景女王万歳!」

旅人は、浮足立った街を舎館の軒先から眺めながら、小さく苦笑した。
「想像以上だな。慶の民の、女王信仰は。」
自分が部外漢であることを少し口惜しく思いながら、それでもいま幸せの絶頂にある慶の民のために喜んだ。
そんな彼の杯は、いつの間にか酒が並々と注がれていた。
「旅の方、是非とも飲んでくれ。俺たちに女王が立ったんだ。慶国は、あと500年は安泰だぞ!」
既に出来上がった舎館の主人が抱き付かんばかりに旅人の手を握る。
「赤王朝の繁栄が還って来るんだ。いや、俺たちの手で繁栄を復活させるんだ。出来るさ。何しろ、女王が立ったんだからな。」

「景女王万歳!」

子供たちが紅い旗を振りながら、市井を駆け抜けていく。その、希望に満ちた輝き。

「すごいな。」
旅人は感心するしかない。
女王が立った、ただそれだけのことが、これほどの希望を慶の民に与えるのか。
かつて、赤王朝の名で慶に長い繁栄をもたらした伝説の女王は、これほどの時を経ても尚、民に希望をもたらし続けているのか。

「旗を上げるぞ!」
舎館の主人が、通りに面した軒先に真紅の旗を掲げた。
慶の民はいつの頃からか、火が燃え立つような緋色の旗を必ず一家に一枚は持っているという。
彼らは人生最良の日に、それを高々と掲げるのだという。
慶国にとって最も美しく、最も高貴で、最も縁起が良いとされるその色を、誇り高く掲げるのだという。

紅い寿ぎ。

歓喜の声は街じゅうを隅々まで埋め尽くすと、それを隣の街へと溢れさせていく。
その、堰を切った濁流。

黄海側から旅をして来た旅人は、次の街の城門をくぐった瞬間に息を飲んだ。そして再び苦笑する。
「ついに、追い越されたか。」

寿ぐ声の、その疾風のごとき流れ。
・・・・旅人が見たのは、屋根をも軒先をも覆い尽くした真紅の旗の群、群、群。

「女王万歳!」
叫んだ旅人に、怒濤のような歓喜の声が覆いかぶさった。