<桂花の雫>


 甘い誘い。
 琥珀色の酒からは、花の香りがした。

 後宮の庭院の隅にある木犀の木。馨しい花を咲かせる秋以外は気にすることもなかった。
 それが特別なものになってから、季節は一巡りし、また赤黄色の花をつけている。
 視界に入らなくとも、風が運ぶ香りに心が騒ぐ。


 窓辺に立って、玻璃越しの月の光りを酒杯の水面に映す。


 あの日、小さな花を咲かせた木の下に、少女は立っていた。
 声をかけられずに、どのくらい見つめていただろう。……少女だけを。
 振り返った彼女は、笑みを見せて名を呼んでくれた。
 そのとき。
 少女の緋色の髪を乱した強い風が、甘すぎる香りを叩きつけた。
 男の身体に、心に、刻みつけるかのように。


 少女が一口二口だけ嗜んだ酒の残りを戴いたのは宰輔だった。
 姿は少年でも強い酒を好む彼は、それをそのまま男に渡した。
 ただ、近くにいたためだろう。

 少女だけを思い起こさせる花の香り。
 その花を漬け込んで熟成させた酒。

 少女の嗜んだ酒に、奥底に秘した心が千々に乱れる。
 口にしてはいけない。
 分かっていて、甘い香りに狂わされる。

 酒杯を持つ手が震え、琥珀の水面が波立った。
 零れた雫が、指を濡らす。

 杯を置き、その手を見つめ……。
 月光に照らされた雫に、息を呑んだ。
 甘く馨しい誘いに堪えきれずに、目を閉じる。
 そうすることで、誘惑は更に強くなる。
 本当は、それを望んでいたのだろうか。

 くらりと意識が傾ぐ。
 男は、その雫を口に受けた。
 惑わされると、知りながら……




*******************************************************おおわさまの桂花酒です。こちらも酒と花と杯と女の響音なのです。この作品を補完する次作がありますが、ミソなのはこちらのほうがそこはかとなくエッチっぽいことですね〜(^_^)←有難い頂き物になんつー言い草。琥珀という色に某違う小説の年の差カップル(五百年には、勝つのか負けるのか?)を思いだしてしまうのですが、花に惑わされる男はいつの時代も美味しいものですウフ。

こちらと対になるお話がこちら