<馨逸>


 陽子が湯浴みを終えてきたときには、堂室の主は酒杯をいくらか空けているようだった。
 卓の上には二種の酒瓶。
 無言のまま目で呼ばれ、陽子は尚隆の座った榻に、彼から少し間を取って腰を下ろした。
 尚隆は小ぶりの瓶を取り、陽子の前で少し傾ける。
 陽子は目をしばたたかせた。
「私があまり強くないことは知ってるだろう。……それは、ゆっくり眠っていいと言うこと?」
 ちらりと視線を向けると、尚隆は人の悪い笑みを浮かべた。
「一、二杯は平気だろう。……まあ、眠れるものなら眠れば良い」
 意味を問う前に、腰に手を回されて引き寄せられる。勝手に頬が熱くなって、陽子は慌てて目を逸らせた。
 尚隆はくつくつと笑ってから、杯に酒を注ぐ。
 吸った息に、ふと記憶を擽るような香りが交じる。
 それに惹かれるように、陽子は琥珀色の水が満たされた杯を手に取った。
 なのに、顔に近づけるとツンときた。
「花の匂いはするか」
「花……か、やっぱり。でも、近付くと薬っぽいかも」
「そうか?浸けておくとそうなるのかもしれないな。……呑んでみろ」
 どうやら、男はその酒を呑んではいないらしい。嘆息して、少女は口をつけた。
 香りの割には、柔らかい酒だった。けれど、鼻腔に強い酒精が広がり、喉から落とせば通る道を熱くする。葡萄酒等と同程度の強さだろうか。
 ただ、飲み干した後、口には甘さが残った。続きを欲してしまう甘い香り。始めに陽子を誘った芳香に、再び出会えた。
「なんだろう、知ってるのに」
 呟きながら、再び口に含む。
「以前、その香りをずっと吸っていたいと言っていたろう」
 陽子は、極間近にある男の顔を見上げた。視線を受けて、彼は微笑する。
「後宮の庭院にある花だ。尤も、あそこの花で作った酒ではないがな」
 陽子は目を瞠った。
「じゃあ、金木犀?」
 そんな酒があるのか、と驚いた。
 そして嬉しく思う。こんな甘い香りの酒を男は呑まないだろう。あまり呑めない陽子に無理に勧めたこともないが。
 陽子の好きな香りの花の酒だから。ただ陽子の喜ぶ顔を見るためだけに用意したのだろう。
 可憐な花の、忘れ得ない香り。
「素敵な香りだけでも酔えそうなのに……お酒になったら、幸せな気分で眠らせてくれそう」
「おい」
 片眉を上げた尚隆に、陽子はくすくすと笑う。
「尚隆が呑んでるのは、きっとすごく強いお酒だよね」
 尚隆はくつりと笑って酒を干し、酒杯を卓に置いた。
  「おれを酔わすことのできる唯一の花を思い出すんだ。……強い酒だが、この花には敵わぬ」
 陽子の杯を置かせると、その身体を膝の上に引き上げた。
「花?え?……あの……」
 首を撫でられ、思わず顎を引こうとしたが、そのまま尚隆の手に上向かされる。
「眠ってもらっては困るな。これから……おれを酔わせてくれるのだろう?」
 耳に熱い息が触れ、それだけで、陽子は震えた。
 眠れるものなら眠って良いと言っておいて、なんと勝手なことだろう。
 けれど。
 眠れるはずがない。
 いったい、酔わされているのはどちらだろう……







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……所詮、私には色っぽい話は無理なのですね……
尚隆の酒は‘景陽春’らしいです。





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ますます某カップルを思いだすのですが(笑)彼らにはもうしばらくこんな日は来ないと思いますので、ここは陽子様たっぷりとオジサンを酔わせてあげて下さい。それにしても花と酒に・・・湯上がりの女だなんてもう読んだ私が酔ってしまふ・・・そして何げに気になる「景陽春」なるお酒・・・・