| 『賭け』 あれから、どれ位の時間が過ぎただろう。 「・・・うーむ」 「勝ったな」 苦りきった帷湍を前に、勝ち誇って言うと同時に尚隆は席を立った。顔を歪めたまま帷湍が唸る。 「おい、碁石をどこへ持ってゆくのだ」 「・・・珍しく勝てた故、記念に貰って行く」 「お前か!石が足らんと思ったら・・・今までにいくつ取った?」 「さあ、皆のを合わせて、確か80を越したか?」 「・・・そんなに勝ったのか、世も末だな・・・返せ、俺のだぞ」 「いいではないか、滅多にないことなのだからな」 「滅多になくともこの300年でそれ程取ったのだろう?今に碁が取れなくなるぞ」 「・・・あと、20も取ればそうなるかな?」 「なに?」 真面目に聞き返す帷湍に、尚隆は口の端で嗤った。 「いや。その代わり、明日の朝議にも真面目に出てやろう」 「ぬかせ、それがお前の仕事だろうが」 くつくつ、と笑って出て行く尚隆と入れ違いに成笙と朱衡が入ってきた。 「ご機嫌でしたね、主上は」 「俺に碁で勝ったからだろう。明日も朝議にでるんだと。あいつ、何か企んでるぞ?」 渋い表情のままの帷湍に、朱衡はゆったりと微笑みかけた。 「光州にゆくまでに調べておきましょう」 「朱衡・・・本当に州侯を受けるのか?」 「受けるも何も、勅命ですから」 「お前がいなくなったら、あいつは何をするかわからん」 「案外、私が王宮からいなくなるのでご機嫌が宜しいのかもしれませんよ?あのご様子なら大丈夫でしょう。後は宜しくお願い致します」 「いなくなるから、気楽なもんだ」 ふー、と大仰に溜息をついてみせる成笙と帷湍に、朱衡も笑ったものだった。 だが、翌日。 朝議の席がざわめいた。 「───尚・・・主上、今、何と?」 「元州州侯に任命する。出世だぞ」 「俺は───私は武官にございます。州の統治などできませぬ」 「元州の州侯から、辞任の申し出があったことは知っておるだろう?元州は国の要、いつまでも放って置くわけにはゆかん。お前なら、きっと務まると思ってのことだ。」 「───主上!」 「成笙!勅命である」 朝議の後、釈然としない気持ちを引きずりながら、朱衡は朝議を欠席した台補を捜していた。 300年の歴史を誇る雁国の台補は、庭院の木陰に独り座っていた。秋になりまだらに色づいてはいるのものの幾分趣に欠ける大きな木の下で、王に次ぐその尊い身をだらりと投げ出して、彼は眠っているかのようだった。 が、朱衡が近づくと、彼は少年の姿をびくりと震わせ振り向いた。 「あ、めっかっちった」 朱衡を認めると、途端に舌を出して愛想笑いをする自国の台補に、朱衡は、はぁ、と空々しい溜息をついて見せた。 「本日は珍しくも主上もお出ましになられたというのに、台補がこのような所でお昼寝とは・・・」 「尚隆が?」 「はい」 朝議が紛糾したのを捨て置いて、王がさっさと退席したことは伏せて、言った。 「そっか・・・」 心なしか俯いたその金の髪を見下ろしながら、朱衡は幾分眉を顰めて尋ねた。 「台補、どこかお加減でも?」 「平気だよ、どっこも悪くなんかないぞ?」 「・・・誠でございますか?」 「ぴんぴんしてるよ、なんだ?俺病気のほうがいいの?だったら、明日の朝議さぼってもいいかあ?」 目を輝かせて、尋ねてくる六太に朱衡はまた溜息をついて見せた。 「ご病気でなくても最近お出ましが少ないでしょう」 「ありゃ、ばれた?」 「いつまで続くかは判りませんが、主上がせっかくお心を入れ替えられたのですら、台補もお願い致しますよ」 「へぇへぇ」 遠ざかる朱衡を見送って、六太は独り木陰で胸を押さえた。苦しげに─── 「───大丈夫、これは昨日の食いすぎだって・・・なあ、尚隆」 帷湍と成笙も見ていたらしい。朱衡が回廊に戻ると、帷湍が声を掛けた。 「お前が、台補が変だというから来たが、思ったが大丈夫そうだな」 「・・・そうでしょうか?」 朱衡冷たく目を細め、帷湍と成笙を見た。 「ここしばらく朝議に出ておられません。それに最近は主上とご一緒の処をお見かけ致しません。主上のご様子といい・・・何か気に懸かります」 「ああ、成笙まで王宮から出すとは・・・あいつは何を考えておるのだ。誰があいつを見張るというのだ。毛旋か?あの単純馬鹿には務まらん。いつも裏をかかれたり騙されてばかりいる」 己の単純さは棚に上げ、帷湍は唸った。 「俺だけではとても手が回らん」 「帷湍───主上はあなたも・・・いえ・・・」 「?何だ」 ずっと、厳しい顔つきで黙っていた成笙が、言いよどんだ朱衡の代わりに口を開いた。 「───おそらく、次はお前だろう」 「!俺が?───何故だ?」 成笙は溜息をついた。 「判らないのか?尚隆は、もう俺たちを、必要とはしていないのだ」 次の日も、その次の日も、六太は朝議に出なかった。出なかった、というより出られなかったのだ。あとほんの3つか4つ建物を過ぎれば朝議の行われる内殿だというのに───そこに行けば、彼の主がいるというのに、そこまで辿り付けずに、六太はまた、庭院の木の根元に座り込んでしまった。 大きな木。もう300年は生きている木。尚隆と玄英宮に初めて降り立った年に、二人で植えたのだ。まずはここから手始めにと。国中を緑で一杯にしてやろう、と彼は言った。半分不安と、半分頼もしい想いを抱きながら六太は尚隆を見上げたものだった。大きくて太いこの木のように頼もしい彼の半身。 木の幹に背を預けながら、六太は夢を見た。尚隆が血に染まる夢を。それは─── 「昔の夢だ。昔の」 六太は目を閉じたまま、そう、呟いた。 その時、足音がした。 重い瞼をこじ開け、重い頭を持ち上げて見上げると、そこには彼が恐れ、そして求めていた者の姿は無く。───当然だ、彼が来たのなら自分には王気で判るのだから。 「なんだぁ、朱衡かぁ・・・」 いつものように軽口を叩こうとして、六太はやめた。朱衡の顔は珍しく強張っていた。 「台補。今日も朝議をお休みになられましたね?」 「・・・うん」 「靖州侯としての仕事もお休みされておられるようですが?」 説教をしに来たのだろうか?何か言わないと、変に思われるかもしれない。 「台補。何故、主上を避けておられる?・・・それとも側へ寄れない理由でも?」 「!」 ───何が。朱衡は何がいいたいのだろう。ああ、何も言わないでくれ。 300年の時を経てなお少年の姿のままの六太は、しかし、もはや死すべき老人のような溜息を漏らした。その手がかすかに震えている。俯いたまま、頼むから絶対に言わないでくれ、と心で祈っている。口にさえ出さなければ、悪いことは起こらないような、そんな気がして。 けれど、それを見下ろしながら、朱衡はその問いを口にしようとしていた。 「・・・台補・・・もしや、失───」 「ちがう!ちがう、ちがう!」 蒼褪めた顔をあげた六太の、その大きく見開かれた瞳には、恐怖があった。 それが、朱衡らの疑念に対する答えだった。 ───失道 その瞬間。 六太も朱衡も足元が崩れて行くのを確かに感じた。 二人とも押し黙ったまま、秋風が二人の間を吹きぬけて行った。 ───口にさえ出さなければ、悪いことは起こらないような、そんな気がして、いたのに。 「黄医を・・・」 珍しくうろたえているのが自分でも判る。けれど、どこかで早くも納得している自分がいる。 朱衡は六太に拱手をすると踵を返した。 「台補はこちらでお待ちを。黄医を呼んで参ります」 すがる様な六太の叫ぶ声が背中をえぐる。 「俺が悪いんだ。俺が尚隆を縛ってしまった」 「助けてくれ!朱衡!尚隆を助けてやってくれ!」 秋の晴れた空に、その声はどこまでも吸い込まれていくようだった。 深夜。 「・・・どうする?」 「どう、とは?」 「まことに台補は?・・・」 「そんなのもの、誰にわかるものか」 「黄医はなんと?」 「御不調のようでございます、と」 「そんなの見りゃ、わかる」 「・・・しかし、今まで誰もわからなかったが・・・」 「うかつでしたね。随分と隠しておられたようです」 朱衡の頭に六太の声がこだまする。 「・・・心当たりがありません」 そして苦しげに息を吐く。 「道を失うようなことは何もされてはおられません。何故」 ───助けようにも・・・ 「何故なのでしょう」 三人とも黙り込んでしまった。 以前ならともかく、最近の尚隆は王宮を抜け出しもせず、真面目に朝議に出席し、王としての役目は立派に務めている、ように見える。天に叛くようなことは何一つない筈・・・ 信じている、己の主を。信じたい、尚隆を。 朱衡は再びため息をついた───今日はこれで何度目だろう、その度に心まで削られ終いには無くなってしまうのではないかと思う。いっそそのほうが楽かもしれない、と。 「ともかく、主上に───」 「もしも」 成笙が低く呟いた。 「もしも───そうだとしたら、あの梟王のような荒廃が、また・・・いや、それ以上の荒廃が訪れる。今の雁の民にそれが耐えられるだろうか・・・あいつは雁を滅ぼすだろう・・・間違いなく、雁には一人の民も残らんだろう」 朱衡も帷湍も、成笙の顔を何も言えずに只じっと見つめた。 暗い室内で影に沈んだその顔は、よく見えなかった。 雁国延王の寝所に深夜にも関わらず、訪問があった。 朱衡・成笙・帷湍の三人は、人払いをし、牀榻の扉を固く閉めた。 重苦しい雰囲気の中、独り卓子に酒を置き、尚隆が陽気に声を掛けた。 「どうした、何か用か?」 「お前のほうは俺たちに用はないのか?」 帷湍がはき捨てるように言う。その横で、朱衡は静かに言った。 「───台補が御不調の様です」 「・・・ほお、殺しても死にそうにない奴だと思っていたが」 「お前っ!判ってるのか!失道したかもしれんのだぞ!」 帷湍がこめかみに青筋をたてて、2、3歩近づいた。その怒りをまったく解せぬように尚隆はしゃらっとした顔で尋ねる。 「見舞いにでも行けというのか?」 「尚隆っ!」 帷湍は悲鳴のような声を上げ、すると、それまで黙っていた成笙がすらりと、剣を抜いた。 「なんだ?」 「・・・お前が真面目に答えないからだ」 「・・・謁見時の帯剣の特権を初めて使ったな、与えた甲斐があったというものだ」 「尚隆!」 帷湍は泣きそうになりながら声を荒げた。 「頼むから、真面目にしてくれ!」 「お前達は俺に何を改めろというのだ?」 「天の怒りを買うようなことをしたのだろう!」 「何も」 尚隆はくつくつと嗤う。 「何もしておらぬ」 「何もしておらぬ、で何故台補が不調になる!」 「・・・朝議の席で」 赤く染まった帷湍の顔を見ながら、尚隆は薄く嗤った。 「───どうやって民を減らそうかと考えるくらいかな、頭の中で」 「尚隆!」 「増えすぎたと思わんか?」 「何を馬鹿なことを!」 「───難民を海にでも放り込んでやろうか、とか」 尚隆は赤くなった帷湍の顔が蒼くなるのを面白そうに見ている。 「進香する心の中で天帝にバーカと舌を出しておるくらいか・・・おっと、これが効き目があったのか?」 昏い目をして、くつくつと嗤う。その時、小さな声が。 「尚隆・・・」 はっと振り向いた三人の後ろ、ぴたりと閉めておいた筈の扉が開き、そこには真っ青な顔をした少年が 呆然と立ちすくんでいた。独り愉しげに嗤っている主の姿を、そこにまるで妖魔でもいるかのように怯えて見つめていた。 苦しげに六太はうめいた。尚隆の姿を見て、胸が苦しいのは何故だ。 「・・・尚隆」 「よう、久しいな。失道だそうだが、平気そうではないか」 「ちがう!ちがう、ちがう!!───尚隆・・・頼むから目を覚ませ!」 「おう、覚めているとも。これは夢ではない、真の俺だ」 「尚隆!」 「俺に何をせよと、いうのだ」 尚隆は呟いた。 「俺は何もしてはおらん。国を興し、国を整え、国を繁栄させてからは」 そして、どことも知れない虚空を見据え、呟く。 「それとも俺の心まで整えよと申すか、それは最早俺ではない」 「・・・雁を滅ぼすのか?」 「さあ、な・・・」 六太の問いには答えず、朱衡と成笙と帷湍に、揺れる瞳を向ける。 「素直に王宮から去ればよかったのに」 その瞳の中には。 「これから、どうなるか俺にもわからんのだぞ?」 きっと。 「きっと俺はこれから雁を血で染めるのだ」 朱衡には判った、その瞳の色は尚隆の闇─── 六太の叫びが甦る。 ───俺が尚隆を縛ってしまった!朱衡!尚隆を助けてやってくれ! そう、この方は。主上は縛られている。 けれど、縛っているのは台補ではなく、民であり、自分たちだ。 自由に、なりたいのだろうか。 そんなにも生きているのは、王であり続けることは苦痛なのだろうか。 ───けれど、この方を失いたくない・・・ その時。 「尚隆!」 成笙が動き、つられて帷湍も動いた。手にした剣がぎらりと光る。 「!───悧角!」 六太の叫び声とともに一匹の影が現れ、尚隆の身近にいた帷湍を押し倒した。 そして。 朱衡は、成笙の背に刺さったままの使い慣れぬ己の剣を、信じ難き思いで凝視した。 「成笙・・・何故」 「・・・」 「私の太刀など避けることは出来た筈!何故!」 「・・・尚隆。お前は死ぬ気だ・・・俺に弑逆されるのがお前の望みか・・・」 成笙は誰も───立ちすくんでいる朱衡も、使令に取り押さえられ気を失った帷湍も、座り込んでいる六太も誰も一顧だにせず、ただ、尚隆を───己が300年仕えた主をひたと、見据え。 「やめろ。やめてくれ」 成笙の血の匂いに力を削がれ、使令を呼ぶことも立つこともできない六太が小さな声で叫ぶ。まるですすり泣くかのように。もっと大きな声で叫びたいのに。止めなければいけないのに───声が、出ない。 「何故独りで苦しんでいた?何故、俺たちに何も言わなかった?俺たちはお前にはもう不要なのか」 じりじりと、自分に近づく己の臣を、延王はただ黙って見ていた───いや、おそらく、待っていた。その証拠に朱衡には彼が微かに笑んでいるように見えた。 しかし、成笙はそんな無防備な主の姿を前に、足を止めた。 「お前に必要なのは血か?・・・お前は血を見ないでは生を感じられぬのか?───が、王とはそんなものかも知れぬ・・・だったら俺が教えてやろう・・・尚隆、お前の望みは叶えられん。死を見たくば」 六太や朱衡が血の呪縛から解ける間もなく。 成笙は己の首に、その冷たい刃を当て、一気に引いた。 「───俺独り分で我慢しろ」 ごふっと、成笙は口から赤い血とともに、喉を裂かれ声にならない声を絞り出した。 「尚隆───おまえの命は民のものだ。だから、この命を、お前に・・・」 そして、がっくり膝をつき、最期の言葉を搾り出す。 「・・・主上・・・お仕え、できて・・・」 なぜ、こんなことになったのだろう・・・ 六太はただ呆然としていた。 何かがどこかで狂っていた。 だれも、何も悪いことなどしていないのに、この結果は何だ?この惨憺たる光景は何だ? それとも誰かが悪いのか?───成笙か?帷湍か?朱衡か?尚隆か?・・・俺か? 何故みんな生きているだけでは満足できないんだろう? 何故みんな何かしなくちゃいけないと思うんだろう? 怒ったり、泣いたりして、生きて、年を重ねて───そして、天寿をまっとうするだけではいけないのだろうか? ───なぜ・・・ 次に六太が意識を取り戻したのはそれから十日後だった。 秋がいっそう深まりを見せ、あの日六太が背を預けた大きな木はすっかり葉を落としていた。夏の日の大樹の面影の無い、無防備なその姿に六太は今の尚隆を想った。自室に籠もったきり誰も寄せ付けない、六太さえも。 あの時─── あの時のことは、よく分からない。朱衡が何度か見舞いに見てくれたけれど、お互いに言うべき言葉が見つからなかった。 ただ、あの時以来、あの胸の苦しさはどこかへ消えてしまった。もう、あの木で休ませて貰う必要もなく歩くこともできる。───ということは、尚隆はもう心配ないのだろうか・・・ では、一体なんだったんだろう。考える度に唇をかみ締める。 王宮の端にはあまり人の立ち寄らぬ建物があり───そこには牢がある。 雁国の王宮の牢は、牢といえどもなかなかに贅沢なつくりで、収監される対象が貴人であっても支障がない造りになっている。 その石造りの壁に囲まれ、帷湍はいかつい肩をがっくり落として座っていた。出される食事にも手をつけないという。 「帷湍」 帷湍はちらりと顔をあげた。格子の向こうには少年の姿、見慣れた筈の、けれど何だか随分久しぶりだという気がした。勝手気ままな彼らを十日や一月ぶりに見ることはままあったものの、そのような印象を受けたことがなかったというのに。それは常にはない六太の哀しげな表情のせいかも知れないし、それとも、帷湍自身がもう元の帷湍ではないからかも、知れない。 「帷湍・・・」 「───朱衡は?」 「謹慎も解かれたって。復職して働いてる」 何事もなかったかのように、王宮は収穫と租税の忙しさを迎えていた。 「成笙は?」 では、帷湍は何も知らないのだ。あの時、悧角に襲われ、何も見てはいないのだ───六太はただ俯いた。 「・・・」 「そうか・・・では俺も早く処刑してくれ」 「なんで、なんでそんなことばっか言うんだよ!」 「俺は、あの時、剣を抜いた───それで、どうするつもりだったのか自分でもわからんが、確かに抜いた。それは死に値することだ。処刑してくれんのなら自分で始末するから、剣を返してくれ」 六太はまだ顔色が悪い。無理もない、目の前で人が血をあげ死んだのだから。けれど、格子にすがり彼は叫んだ。声を振り絞り。出すべきときにでなかった声を振り絞った。 「なんで!なんで皆死にたがるんだよ、生きたくても生きられない奴、まだまだ雁にもたくさんいるんだぞ!どうしてただ生きて行くことの大切さを、誰も!───」 「・・・台補」 その時、静かな声がした。 「帷湍」 入り口に現れたその、背の高い声の持ち主に帷湍は静かに平伏した。王の面前で平伏せずとも良いとの特権は剥奪されているだろうし、何より、帷湍は主の顔を見たくなかった。 聞きなじんだ声には一切の感情は無かったが、その顔にあの嗤いを見るのが、怖かった。 ここ何百年と見たことのない平伏する帷湍の背中に、尚隆は命じた。 「汝を仙籍から削除する」 「尚隆・・・」 「市井におりて土を耕せ。そして、生きろ」 帷湍は信じられぬ思いで顔をあげた。それは六太も同じだった。尚隆、と小さく呟く。 「婚姻し、子を成し、老いて、死んで行け───俺に命を、生きている時間の流れを、くれ」 牢の建物の入り口から秋の光が差し込んでいる。けれど尚隆の顔は深い影になっていて、よく見えない。そして、そのまま、彼はくるりと後ろを向いた。 「お前が死んだら、弔いには行ってやる───すまなかった」 そう、言うと。まっすぐに歩きながら、後ろを振り返ることなく遠ざかった。 ───光のなかへ。 帷湍は仙籍を剥奪され護送されていった。雁のはずれの小さな村に土地を与えられたと聞く。何を見るともなしに、露台から雲海を見下ろしながら、六太は肩越しに部屋の中に声をかけた。 「朱衡・・・お前は別れを言わなくていいのか?」 「裏切り者の身でどの面を見せられましょう」 「帷湍は気にしないと思うぞ?・・・ひょっとして、尚隆についたこと、後悔してんのか?」 「いいえ」 朱衡は笑った。成笙の死と帷湍の更迭の事情を知っているのは王宮内部でも冢宰と後任の禁軍将軍のみ。誰も知らねがゆえ、朱衡に尋ねる───常に近しかった彼に、かのもの達は如何したのだと。強いて言えば、それが朱衡に与えられた唯一の罰。だたそれだけの。 「後悔、と申せば、主上に出合ったことを後悔しております。せめて主上がいま少し暗君であられれば、と思うことも・・・」 「───そういうのやめてくれよな」 六太は嫌そうに顔を顰める。 「王は長続きするに限るんだよ。でないと死んで行く奴らにも、一生懸命生きてる奴らにも悪い」 「さようでございますね」 朱衡は微かに微笑んだ。 あれから、どれ位の時間が過ぎただろう、と六太は想う。 時折、風漢宛てに手紙が届く。尚隆は六太にも読ませてくれる───朱衡にも。 小さな、名も知らぬ村の、名も知らぬ民から。 子が生まれた。 親が死んだ。 孫が生まれた。 子が死んだ ひ孫が生まれた。 ただ、それだけの。 尚隆は。 それから碁をとっていない─── あれから、どれ位の時間が過ぎただろう。 ******************************************************************** ここまで尚隆に陰を作ってよいものだろうか・・・ 炎帝月帝さまのネタばれ掲示板にて、アニメ脚本集の話があり、アニメで朱衡独りが登場しましたが、「今でも王宮に仕えているのは朱衡くらいのものではないか」(by小野主上)のコメントがありまして。・・・ええっ!帷湍・成笙は!どうなるんですか!死んじゃったんですか!、ということから出来たお話です。(と、いうか、鬼畜発言の責任をとっての切腹です、いや、さらし首か?) 私は彼らは州侯にでも出世していると思いたいのですが、雅さまが鬼畜なお話をお望みなので、書いてみましたvいかが〜? やはり、頭のいい人とか、ウラのある人とか、苦手です〜。(>_<っっ) 失道の原因は誤魔化してしまいました。てへっ(^v^)(じゃないよ!) まあ、その人の心で王に選んだ天が、心は無視で政治のみを見るのはおかしいじゃんか、じゃあ、心の中はイタんでてもいいのね?ということなのですが・・・まあ、本当にそうだったらとっくに雁は滅んでいるでしょう。けれど、具体的に尚隆の悪事を書くことが出来ませんでした、とほほのほ〜。 という訳で我ながら生ヌルイもんが出来ましたがどうでしょうか?新刊で笑話になると良いのですがv 結局六太は食べすぎだったりして・・・(我ながら酷い・・・) |
| ヌシさまから力作が届きました。朱衡一人が生きている理由、ということです。天意は民意(イコール麒麟の意志)ということで、天命を失うとか失道するとかいうのは実は、民が王(あるいはその資質)に飽きただけなんじゃないかという疑いを、新聞の政治面や地元の市長選挙なんかを見ながら抱いたことがありますけれど、そこに踏み込む勇気も精神力も今の私にはないです。やっぱりヌシ様は凄いです。 私は何にも増して、三人三様、たいそう主思いであるところに、またそこをいかにも彼ららしく描かれるヌシ様に万歳三唱脱帽無謀・・・(何事?) |