秋の虫



「何奴!」 少しばかり後ろめたい心持ちの禁軍将軍が、邪魔をされた気配を感じて剣を真後ろの木立の中に向けた。
部下たちから離れて、一人で火を焚いているだけならばまだしも、そこに湯を沸かしている理由を問い詰められるのはいささかばつが悪いものだった。
だが、そこからひょいと覗いた紅い色に、呆れたように苦笑する。

本来は、慌てて然るべきなのだが。

「禁軍の鍛練合宿に、貴女もご参加されたいと?」
驚いてくれない将軍に、この国の女王であるはずの少女が拗ねた。
自然に薔薇色に染まっている頬を、わずかに膨らませる。
「桓タイの扱きはきついって評判だからやめとく。」
「それが賢明ですよ。」
禁軍を統べる将軍に不可欠なその動じない佇まいに、しかし少女の不満がつのる。
驚かそうと思って来たのに。
「何をしているんだ。」
不機嫌そうに、尋ねた。
焚火の中に鉄鍋をかけ、そこに湯を入れている。
汁物でも作る気なのかと訝った。
桓タイは、ばつが悪そうに笑った。
「酒を飲もうと思いまして。」
「酒?」
「部下たちには、内緒にしといて下さいね。」
にやりと笑う彼に、陽子の機嫌が少しだけ直る。
『秘密』が出来たことが、ちょっと嬉しい。
「これは錫で出来ています。」
取りだしたのは、何やら意匠の凝った薬罐のような金物。
内側の入れ物に、酒瓶から葡萄(えび)茶色の液体を注ぎ、本体には熱湯を入れる。
「これで熱燗にするのが、うまいんです。」
「へえ。」
己の手元を覗き込む主の瞳に、やにわに接吻を贈る。
「な、何をするんだ。」
「戦場に油断は禁物ですよ。主上。」
にやりと笑う男を、少女は睨みつけるが、本気で厭う様子はない。
「味見しますか。」
温めた錫の罐から出した酒を、掲げてみせる男に、女王は興味津々な視線を向けた。
「熱くない?」
「もちろん、熱いです。」
言って、杯をふうと吹く。
焚火の火が瞳の中で揺れ、瞳の中まで熱そうだと、女王は思った。
小さな両手に杯を持ち、ぐいっと熱い液体をあおる。
「う・・・。」
熱い塊が喉を通っていく感覚に、女王は一瞬苦しげな表情をした。
「主上にはお早かったですかね。」
そして依然、揶揄うような視線の将軍をぎ、と睨んだ。
「わたしは子供じゃないぞ。」
「はいはい。存じておりますよ。」
言うなり、言うなれば彼女の軍を統率する立場である男が手元に小さな袋を取り出した。
「何だ?」
「何だと思います?」
「干し葡萄じゃないか。」
「この酒は、砂糖を入れて飲むのが女子供の飲み方、と言われております。」
「紅茶みたいだな。」
「でも主上は、子供扱いを厭われるので・・・。」
桓タイの言葉に、女王はさらにむくれた。
「まるで子供なのに子供扱いを嫌がってるとでも言いたそうだな。」
「そうではありませんよ。」
笑って、干し葡萄をひとつ、陽子の杯に落とした。
「通の飲み方をお教えしましょう。こうして、干し葡萄を入れるんです。」
「へえ。」
酒の色が干し葡萄の色と似ているため、葡萄が砂糖のように酒に溶けたように見えた。
「心持ち甘いですよ。」
「うん。」
舌先でちろと舐め、陽子が微笑した。
その瞬間、唇を掠め取られる。
「桓タイっ!」
「俺も、苦いよりは甘いほうが好きなんです。」
「なんの話だっ!」
じたばたと暴れる主の腰にいつの間にか手を回し、将軍は薄く笑んだ。
「おかわりが欲しいという話です。」




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二周年祭に出したものです。紹興酒は好きです。旅行中、紹興じゃないですけど近くの杭州でご機嫌にしゃかしゃか飲みました。攻め熊は、もうちょっと書きたかったり・・・・(^^;