碧炎
(アブサン編)

 ぽとり、と。

氷の砂糖に染み込み、小杯に落ちる雫。
柔らかな碧の酒が、
甘味を纏ってゆっくりと杯を満たしていく。
雫の音さえ聞こえそうな、静かな時間。


「御気に召して頂けたでしょうか」
 静けさにふわりと乗るような声音で、冢宰が卓の向こうへ穏やかに問うた。
まだ、彼の王は一滴も口に含んでいないのに。

 だが、問われた男は酒の碧と杯の細工の美しさとにいたく御満悦の様子で、
「そなたの申す通り、この酒は趣深い」
 そうしてちらりと視線を投げて寄越し、
「甘い刺激に潤む碧(あお)――これは『愛でる酒』だねえ」
 詠うように独語した。


この宮で碧といえば、
意味する色はただ一つ。
輝く至上の宝玉の色。


 冢宰が正しくその意を汲み取ったのを見て取り、
「甘く潤んだ碧を、独り占めしてみたいものだねえ」
 西国の王はそう言って、ゆったりと微笑んだ。
「そう思うであろ」

澄んだ砂糖が碧に染まり、
溶けて崩れて雫となる。

 ひと雫ごとに己の裡にも何かが積もりゆくのを感じながら、涼やかに告げた。
「私は、甘く美しい碧を、時折拝見致しておりますので」
 だが、彼の君は椅子に凭れて碧い宝石を愛でながら、
「おや。この甘さで満足かえ?もっと甘いものを飲みたいであろ?」
 首を傾げて小さく笑む。
「そうだねえ・・・・・・」
 長く美しい指。
その4つの指間にひとつずつ氷の砂糖を挟み、いとも優雅に笑ってみせた。
「この位の。ただ一人が飲める甘露だよ」
 言葉とともに零れ落ちた砂糖が、玻璃の器に戻る。

――かつん、と氷が闇を叩く、小さな音がした。

 その問いには答えずに、
「氷ひとつの甘さも、他に変え難い味と存じますが」
 涼やかに己が意見を述べた。
「確かに、それもまた極上だ」
 ひとつ頷いて
「意見が合うね」
 深い笑みを寄越した王に、底の見えない微笑を返す。
微笑みを形作ったままの唇で、

ひとつ、ふたつ。

ふっ・・・と灯りを吹き消した。
残る一つの灯火から炎を貰い、雫に寄せる。
闇に映える鮮やかな炎が、ふたつ生まれた。


  氷を包む、碧く澄んだ炎。

  月の光と一本の灯火。
  卓に揺れるその僅かな明かりを、
  いとも容易く染め上げる、毅い炎。
  心と瞳を捉えて離さぬ、美しい炎。


刹那の炎が治まると、堂室を闇と無音が支配する。
――西国の王の美しい顔は、闇に溶けて見えない。





 再び灯りをともすと、王は満足げに微笑んでいた。
目が合うと、美しい酒を供した男に杯を掲げて目礼を寄越す。
二人は、静かに酒を、口に含んだ。


  甘美な雫が過ぎゆけば、
  後に残るはほのかな苦味。

  ちらりちらりと微笑みながら
  揃って杯を重ねるごとに、
  胃の腑に苦さが降り積もる。
  静かに密やかに、雪の如く。


積もる苦さを紛らわす為、次の甘露に手を伸ばす。
この碧に魅入られているかのようだと思いながら、
互いの杯を寄り添わせ、誰にともなく微笑んだ。


  微笑の裏に浮かぶのは、
  酒に似た色の、一対の瞳。
  己の全てを蕩かす甘さと、
  独り占める事叶わぬ苦さ。



  だが。


  ――甘さだけでは、物足りぬ。
    この苦さがあってこそ、
    止められぬほど嵌るのだ。



苦さも愉しむ者達は、
互いの瞳に同じ想いを認めあう。

涼やかな。
この上なく涼やかな笑みを交わしながら、
己が口元に、手の中の杯を引き寄せた。



 




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coさんのアブサン絵に、森屋さんが氾王vs浩瀚対決話をつけて下さいました。寒い・・・なんて寒いんだ・・・(ブルブル)アブサンはにがよもぎですから、色は翠で苦いのです・・・が、中毒になるほどに美味で、一度喉を侵したその熱さは忘れ得ぬ、という訳なのですね。(邪笑)それにしても、冷気漂う対決姿勢の中に、二人の美男のなんと色っぽいこと・・・さすが森屋さんですvv