「蛇酒」(じゃしゅ)


その日陽子は、遠甫から慶の国特有の植物や動物について講義を受けていた。
薬草の種類は慶国には豊富にある。その効能などについての遠甫の知識は高い。
「かつては国立の薬草園もあったと聞く、再興を図りたいと思うが」
「それはようございます」
「うん。しかしいろいろな種類の薬草があるものだ」
そう言って陽子は、目の前に用意された薬用の動植物をもう一度眺めた。
その中には蛇やトカゲなど、陽子にとっては気持ちの悪いものもあった。

特に、中に蛇の入った瓶は目を引いた。
「遠甫、あの蛇のような物が入った瓶は何だ」
「ああ、あれは「蛇酒」と申します薬酒です。毒蛇を酒に浸して作ったものにございます」
「毒蛇をつけ込んであるのか、なんの薬だ」
「あの薬酒の効能は、滋養強壮。すなわち、衰えた体力を回復させ若若しさを甦らせると」
「滋養強壮?では、あの」
「はい回春剤ですな。これはそのままでは飲んだりせず、他の薬草と混ぜて使います」
「そうか、たしか蓬莱にも同じような物があったな。」
「左様で,何処も人間の考えることなど同じでございます」
「うん、そうだな」
そう言って陽子は、思いをめぐらした。
― 子どもの生まれ方は違っても、男女の求めるも物は一緒なのか。―
そんな陽子に遠甫は、
「主上にはまだ、ご入用ではありませんな」
そうからかうように言った。陽子は顔を仄かに赤らめるだけだった。

「さあ、今日はここまでに致しましょう。薬草の匂いなどで少々お疲れになられたでしょう」
「うん、実を言うとそうなんだ」
「ははは、あいかわらず主上は正直でよろしい。園林の梅でも眺めてお茶に致しましょう」
二人はそう笑いながら言って、園林へと歩き出した。

園林には紅白の梅が今を盛りと咲き誇っている。馥郁たるその香を胸に大きく吸い込んで陽子は、
――春か、蓬莱ではバレンタインで大騒ぎだろうな。――
チョコを贈るため、右往左往していた同級生たちのことを陽子は思い出し、口元が綻んだ。
「おや、思いだし笑いですかな。なにか楽しい思い出ですかな」
「あ、いや。蓬莱での行事を思い出して」
「ほう、それはどんなことで」

陽子はバレンタインの簡単な説明を遠甫にした。
「ほう、女性からの愛の告白にチョコなるものを贈るのですか。おもしろい風習ですね」
「本来は外国の行事で、恋人同士や夫婦が贈り物を交換したりするそうだ。贈る物はなんでも良いと聞いたが」
「ほう、何を贈っても良い。それがなぜ、チョコなる菓子を贈ることになったのでしょうか」
「ああ、チョコを売る商人が宣伝を繰り返した結果、いつのまにか女性がチョコを贈るようになったそうだ」
「さようですか。しかし蓬莱の菓子商人達も、上手い事を考えましたな」
「うん。私がいた頃はチョコだけでなく、男性の好む酒なども贈り物にと宣伝していたな」
「ほー、酒。恋人同士で酒を酌み交わす、それは良いですな」
「しかし子どもは酒が飲めない。それで、チョコほど一般的にはならなかったようだ」
「皆の間に広まるような特産品を作るというのは、難しいことですのう」
陽子は黙って頷いた。
先ほど受けていた薬草の講義も、新しい産業の参考になればと思っての事だった。

冷たいが梅の香りを含んだ風が、花びらを二人の元へ運んできた。その花びらを遠甫は手に取ると、
「しかし、商人の考える宣伝の力とは凄い物ですな」
そう言った。
「そうだな。チョコを贈るという習慣は不確かなものなのに、まことしやかに宣伝されると皆信じてしまう」
「例えば先ほどの「蛇酒」を、『蓬莱では好きな女性にこれを贈って愛を告白するのだ』と主上が言われたとします。
するとそれを信じた者たちが、我先に「蛇酒」を買い求めるのと同じですかな」
なにかを含んだような目をして、遠甫は陽子に言った。
「まさかそのような、しかし良く考えるとそうだな。だが、誰もあの酒を飲もうとはするまい」
「そうですな、例えが悪かったですかな」
「いや、ただ蓬莱でも「蛇酒」と似たような酒があって、そのまま飲むらしいが。あれを愛の告白には・」
「いやはや、可笑しい事です」
そう言って、遠甫も陽子も笑った。


園林で陽子と別れると遠甫は、すぐさま景麒の元へと向かった。何故かしらその足取りは軽い。 景麒が現れるや否や、
「これは台輔。今日は良い事を主上からお聞きしましたので、ぜひ台輔にお教しえしようと思いまして」
「太師、良い事とはなんだ。」
心なしか景麒の顔が真剣みを帯びている。
「はい。なんでも蓬莱では、愛の告白をする日があるそうです」
「愛の告白!!」
景麒の声が一段と大きくなった。
「それはどういうことだ。」
――これは掛ったわい。――
お耳を拝借と、遠甫は景麒の耳元に何やら話しはじめた。景麒は神妙な顔でそれを聞いた。
その様子をそっと見ていた芥瑚や使令達は、複雑な心境だった。
――又何か面倒な事が起きなければ良いが。――

遠甫が説明をし終わると景麒は、
「会い分かった。ではそのように主上をお招きしよう。しかし、あの酒は」
「ご心配には及びません。ご入用な物は、全て私が揃えますので」
「うん、任せた」
遠甫はその言葉を聞くと密かに微笑み、景麒の元を後にした。
――数日後――
陽子は、景麒から梅見の会に誘われた。

梅見の当日、景麒は陽子を迎える準備に余念が無かった。
調度の品々の何度目かの点検を終えると景麒は、身支度の最終確認のため鏡の前に立った。
「芥瑚、髪の毛に何か付いてないか?それから、この着物でよかったかな」
――いったい何度同じことをお聞きになるのやら。――
そう芥瑚は心の中で溜息をついた。
「いいえ、なにも付いておりません。お召し物も良くお似合いです」
「そうか」
満足げに景麒は言うと、卓子に用意した杯と酒を見た。
「台輔。本当に蓬莱では、このような薬酒を飲む習慣があるのでしょうか」
「なんだ、班渠。蓬莱通の遠甫の言を疑うか」
「いえ、ただーーあまりに不思議な事なので」
「蓬莱とは、子どもが女人の腹から生まれるような処。愛の告白に、この酒を飲んだとて不思議ではないのでは」
「はあ、そうですね」
班渠は卓子の酒の瓶に目をやった。

「しかし台輔、主上にお確かめになった方が良いのではありませんか」
芥瑚が遠慮がちに言った。
景麒は頭を振って、
「それでは主上に分かってしまうではないか」
「でも、これを飲むなどともし主上のお体に何かあったら」
芥瑚は心配そうに言った。
――前の催眠術騒動のようの事はゴメンですよ、台輔。――
その言葉に景麒も少し不安になった。
「では、試しに少し私が飲んで見よう。芥瑚、酒を注いでくれ」
「え、飲まれるのですか?でも」
「ほんの少しなら良いだろう、元は薬なのだ。さあ、早く」
仕方なく芥瑚は、杯に酒を注いだ。注いだとたん何やら生臭い匂いが堂室に漂った。
――こんな物を飲むなんて、蓬莱とは変った処――
景麒は思った、しかし後へは引けぬ。目をつむり一気に杯の液体を飲み干した。
途端に、
「ぐぐ、ぐぇーぐぉーー」
景麒は喉を掻き毟りながら苦しみ始めた。
「誰かみしゅ、水をくれーー」
そう叫ぶと景麒は、鼻から血を出してそのまま倒れた。
「台輔――!!」
芥瑚や使令たちが叫ぶ。
仁重殿は、上を下への大騒ぎとなった。

慶台輔急病との知らせを受け、陽子は浩瀚と共に仁重殿ヘと駆けつけた。
陽子は、先に来ていた祥瓊や鈴に景麒の容態を聞いた。
「やっとお眠りになったところなの。でも、まだお熱が引かなくって」
「瘍医はなんと言っている」
「こんな事は初めてなので、よくわからないと」
「今太師と一緒に、治療法を探しているのだそうよ」
そう祥瓊と鈴は心配そうに言った。
「そうか、いったい何があったのだ」
「それがね、台輔ったら何を思われたのか「蛇酒」をお飲みになったらしいの」
「蛇酒!!」
陽子と浩瀚は叫んだ。
「なぜ、台輔があのようなものを。「蛇酒」はそのまま飲む物ではありませんのに」
不思議そうな顔をして浩瀚が言った。陽子も頷いて、
「うむ、先日遠甫からそう聞いた」
「太師が」
浩瀚はそれを聞いて眉を顰めた。他の者たちも、顔を見合わせた。
「と、とにかく遠甫に話を聞こう」
焦って陽子は言った。

「これはまた、皆おそろいで。台輔のご様子はいかがかな祥瓊」
一同に囲まれた遠甫であったが、余裕で髭を撫でながら言った。
「今お休みになられました。で大師、治療法は見つかりましたか」
「なにせ前例が無いことですので。しかし古い文献に『麒麟のための万能の解毒法』というのを見つけました」
「それはいったい」
いっせいに皆が訊ねた。
「はい、『麒麟とは血の穢れを嫌う生き物。故に、処女の膝枕なる物でいかなる病も治る』とありました」
そうゆっくり言うと遠甫は、その場にいる陽子、祥瓊、鈴の顔を見渡して、
「ちょうどよい、ここに清らかな乙女がお三方もおられる。これはぜひ台輔の膝枕になっていただかねば」
そう言った。

遠甫の「処女」という言葉に、3人の妙齢の乙女達は皆顔を赤らめると俯いた。
鈴と祥瓊は声を揃えて、
「ここはやはり、主上の膝枕が一番ですわ」
「何を、私は効き目が無い。いや違う、ええとその、お前達の方こそうってつけだろう」
陽子は顔を真っ赤にすると、浩瀚の方をちらりと見て言った。
「え、私達も効き目が。いえその」
鈴や祥瓊も顔を赤くして口篭もるばかりであった。
浩瀚は、遠甫と見が合わぬよう宙に目を向けている。
そんな様子を可笑しげに見て遠甫は、
「まあ、いろいろとご事情がおありなのでしょう。安心召されよ、もう一つ方法がございます」
――それを早く言え。――
「それはなに」
一同、慌てて訊く。
「処女のほかに、年の頃12才までの美童の膝枕も効き目があると」
にっこり笑って遠甫は言った。その言葉に、皆心から安堵した。

かくして慶の国全土から、見目麗しい少年達が台輔を病から救わんと、自主的に駆けつけた。
ほどなくして、景麒の容態は回復へと向かった。

後日、陽子は遠甫を呼び出した。
「遠甫、今回の景麒の件だが、ちと悪戯が過ぎたのではないか」
「はて、なんのことでしょう」
「おまえ、蓬莱で愛の告白として「蛇酒」を贈って飲む習慣があると、景麒に言ったそうだな」
「おや、主上。そうではありませんでしたかな」
「違う!!チョコという菓子を贈るんだ。おまえ、わざと間違ったことを景麒に教えたのではないか」
「とんでもございません。ただ最近年のせいでしょうか、ちと耳の具合が悪いようでして」
年のせいにされては、陽子も何も言えない。
「申し訳ございません。この老いぼれをお許し下さい」
「わかった、もう良い。ただ、景麒にはちゃんと詫びを入れるように」
「かしこまりまして。しかし台輔も、この老いぼれの戯言を信じられるとは」
陽子と側にいた浩瀚はお互い顔を見合わせた。
「人を信じるにも程があります。これはちと、お諌めせねば。では御前を失礼いたします」
そう言うと遠甫は、足取りも軽やかに立ち去った。

――遠甫の毒に勝る毒蛇なし。―― そう慶国秘話は伝えている。







「蛇酒」(じゃしゅ)は「マムシ酒」のことです。
中国では「三蛇酒」というお酒としてあります。ネットの通販で買えますよ!!(買わないって)
マムシ酒の分類は、動物性リキュールになるそうです
景麒の治療法に付いては、一角獣の伝説を使いました。
美童に関しては、私のでっち上げです。(すみません)
それから、「美童」の意味はここではただ単に、美少年としています。
深い意味はありません。



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盤古藍さんから「マムシ酒編」です。あのう・・・老師、もしかして貴方様は秘かに愛飲していらっしゃるんで・・・?「蓬莱ではバ●●●●とか申すそうですなあふぉっふぉっふぉ」(殴)
盤古藍さんの真骨頂といえば「ヘタレ景麒」です。(景麒には迷惑な真骨頂?)もう全開でステキです。ちなみに班渠の言う「この前の催眠術騒動」についてはみさおさん家へGO!