「酩酊」


 無色透明な玻璃の瓶に入れられた、金色の果実酒を見て、祥瓊は懐かしそうに苦笑した。
「祥瓊……?」
 穏やかに、そして、促している眼差しにその瓶を手に取った。
「久しぶりにこのお酒を見ましたわ」
 懐かしい思い出と言うのには、あまりにも、切ない記憶。
「貰い物だが、私はこういう甘いのはあまり好まないから、祥瓊にどうかと思ったのだが」
「ええ。是非、頂きますわ」
 掌に収まりそうな小さな杯にトポトポと注ぎ、灯りに透かすと、きらきらとお酒が輝いた。
「まるで、夏の日の太陽のよう……」
 見上げる事の出来ない眩しい陽光。
 視界の隅に入れるだけで、目が眩む輝き。
 その輝きに何となく似ていた。もっとも、これは目を射る程の眩しさではないものの。
「旨い喩えだな…。これを寄越した者は、『乙女の唇のように甘い酒』だと言っていたが」
「あら。呑んでみませんでしたの?」
「呑んでみたものの、『乙女の唇』ではなく、『乙女の涙』ではないかと思った」
「あら。どう違うのかしら?」
「甘酸っぱい」
 瞬きをし、祥瓊は手にした杯を口につけた。
 酒特有の強い香りが鼻腔をくすぐる。
 口に含むと、柔らかな甘さが咽喉を通る。
「甘いか辛いかと聞かれれば、確かに『甘い』方だけど、あまり甘くないわ。……こんな味だったかしら……?」
「以前、呑んだ事でも?」
「ええ。あの日はあまり味なんて分からなかったけれど。……考えてみれば、味なんてどうだって良かったからかしら……。だから、覚えていないのかしら…?」
「珍しいな。料理の味付けにこだわる祥瓊が覚えていないとは」
 くすり、と笑って空いた杯に手酌で注いだ。
「一杯呑めば、身体が熱くなったのだけど、今日はあまり酔えないわ」
「前回呑んだのは一体いつなのだ?その時の状況によって結構違うものだろう」
「実家に居た頃だったわ。……わたし、その時、緊張していたのかしら…?」
「緊張?……随分似合わない言葉だ」
「あら。わたしの事、どういう風に思っているのかしら?」
 悪戯っぽく囁き、また、酒を口に含んだ。優しい甘さが身体に染みていくようだ。
「いつでも、どこでも自信たっぷりな、有能な女史」
「褒めて下さっていると思っていいのかしら?」
「勿論。……で?どうして緊張していたのだ?」
 男はそこで、自分用に用意した酒を口に含む。香りを楽しみ、味わいながら口にする姿は、物慣れた男にしか振舞えない姿。この男に想いを寄せる女達が見ればきっと、平常心では居られないだろう。たとえ、想いを寄せてなくても、意識せずにはいられないだろう。もっとも、慣れている祥瓊には何の感慨も浮ばないのだが。
 くすり、と祥瓊は笑った。この男には想う人の反応しか興味ないだろう。
「祥瓊?」
「あら。ごめんなさい。昔の事を思い出したらつい……」
 ちょっと嘘をつく。この男に想いを寄せる女達の名をここで挙げてみたい衝動にかかったが、どうせ、意味のない事。きっと、予想違わず、興味なさそうに肩をすくめるだけ。
 祥瓊は男が手にしている杯を奪うと、それを口に含む。
「……辛いわ」
 思わず顔をしかめた。
 あの日のあの州候のしかめた顔を思い出した。そう、甘い、と顔をしかめていたのだ。確か。今の祥瓊と同じ様に。
「確か、男の房室に忍んで行きましたの」
「………それはまた。……大胆な」
「その房室で同じ果実酒を呑みましたの。そして、相手には、もっと強くてきついお酒を無理矢理呑ませましたの」
「……それは、もしや」
「ええ。つまり、わたし、襲いましたの」
 さらり、と祥瓊は言いながら甘い果実酒を口に含んだ。
 男が言っていたように、ほんのちょっぴり、甘酸っぱいそれは、祥瓊の記憶を蘇らせた。あの日の鈍い身体の痛みと、そして、翌日の不愉快な二日酔いと共に。
「流石は祥瓊だ……。十三歳でそんな事をしでかすとは……」
「あら。それは褒め言葉でしょうね?」
 唖然としていた男は、自分の杯を手に取り、酒を一気に呷った。
「勿論だ」
「でも、貴方はそんな事はしませんわね?」
「……そんな事をして、嫌われると、憎まれると知っていて?……傍近くに侍れなくなると知っていて?……そんな愚行は侵せない」
 空いた男の杯に祥瓊は酒を注いだ。労わるように酒肴を一つ指で摘まみ、口に押し込んでやる。
「確かに愚行だわ。……でも、あの時のわたしは、それでも良かったの」
「………祥瓊」
 心配げに男は祥瓊を見やった。ここまで、過去のあの男の事を話すのは始めてで。困惑しているのだろうか。
「構わない、そう一度でも思ったら、もう止まらなかった」
 祥瓊の頭にそっと男の手が伸び、慰めるかのように軽くポンポンと、軽く叩かれる。
 懐かしいあの果実酒は涙の味。
 わたしの過去を封じ込めた甘く切ないお酒。
 あれが最善だったと、そう思ってはいるけれど、もっと、別の方法がなかったのかと、もっと、穏便な方法がなかったのかと、今になってそう思う。
 この果実酒を呑めばこんなにも鮮やかに切ない想いまで蘇らせるのだから。




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意外な組合せで明美さんの果実酒です。明美さん設定では報われない浩瀚と祥瓊がいつの間にか仲良しになっているんです。(え?違う?)トレンディドラマによくある?(それも違うか)ふ・・・襲う祥瓊ですわ皆さん!襲う13歳祥瓊でしてよおほほほほ(崩壊)