安息日(あんそくにち)




「おおーぅ、久々の快晴!気持ちいいなぁー!なぁ宇都宮?」
「そうだね」
「こんな日は、屋上に行って昼寝でもしたいよなぁ?宇都宮」
「…そうだね」

ふわぁああ〜と遠慮なく大口をあけて欠伸をこぼす高崎の隣で、宇都宮はポケットに手を入れたまま太陽の眩しさにそっと目を細めた。

本当は。

こんな雲どころか霞ひとつない紺碧の空を眺めていると、どこか息苦しく──落ち着かない気持ちになる。

だってそうだろ?僕らは地面に敷かれたレールの上をただひたすら走り続けることが使命。
前方確認、左右確認、後方確認。
頭上に鎮座する空など、鉄道の範疇ではない。
なのに高崎はどうしてああやって楽しげに交わっていられるのだろう。

僕は時々不安になる。

まるで自分のすべてが晒されてしまうようで。
まるで自分のすべてが見透かされてしまうようで。

少し──怖い。

……
……
なーんてね。
ああ、馬鹿馬鹿しい。
笑っちゃうね。こんな僕。
高崎が知ったらエライことだ。
きっと医務室にでも運び込まれるんじゃないのか?アタマ打ったとか何とか。

「んじゃ俺、次の下りで行く。また後でな」
うん、じゃあね」

──ほんとくだらない。

自分自身への侮蔑の思いを胸の中に押しとどめ、手をふる高崎にいつもの笑顔で頷いた。





「…何だ?」

東北は、野暮用があって立ち寄った宇都宮駅の職員用エリア一角で、ふと呟き足を止めた。
そこは普段あまり使われていない階段の踊り場で、コンクリートに固められた何もない空間。
あるのは、かろうじて外の光を受け入れる、古ぼけた四角い窓。
それなのに──

「…何でこんなところに…椅子?」

その窓の下に、うっかり置き忘れるにしては不似合いな瀟洒な椅子がぽつんと一つ。
滅多に人の通らない忘れ去られた場所で見つけたこの不自然な光景が、東北の興味をひいた。

「…誰か来るのかな…」

お前知ってるか?と、椅子に話しかけるように言葉を漏らす。
当然返事など──ないはずが、まるで東北の疑問に応えるかのように、カツカツと固い靴音が階段を上ってきた。

「───ッ!?」
「…うつのみや?…」

急な階段を早足で上ってきた宇都宮は、突然視界に現れた上司に息を飲んだ。
…ように見えたが、そこはそれ、いつもの調子ですぐに我に返り、一度まっすぐに背筋を伸ばしてから綺麗なお辞儀を返す。

「失礼しました東北上官、まさかいらっしゃるとは思わず」
「休憩か?宇都宮」
「はい…あの」
「サボりか?宇都宮」
「──休憩です、上官」

穏やかな表情のままぎゅっと拳を握るその姿に、それ以上の詮索はせず椅子をはさんで向かい合った。

「それではこれはお前の休憩用の椅子というわけだ」
「…何か問題がありますでしょうか、上官」

暗に肯定を示した宇都宮に対して、東北は「ふむ」と小さく首を傾げた。

「あの、何か?」
「ここに椅子があって休憩することに問題はないが…お前が一人でいることが気になってな」
「……」
「高崎は…」
「あれが私の生活の中にいないことがそんなに不自然に見えますか」
「…そういうことでもないのだがな…何と言うか、お前が高崎と一緒にいないときというのはいつも…」

どこかしら、不安定なときだろう?

見透かしたようなことを言われ、宇都宮は内心動揺した。
人の気持ちなど読めないましてや空気など読めるはずがないそんな印象の東北だが、時に非常に鋭い観察力で事実を射抜く。これがくせ者だ。

「…特に運行に乱れは生じておりません、東北上官」
「それは分かっている」

しばらく言葉を探している様子の東北だったが、やがて諦めたように小さく息を吐くと、窓の外へ視線を移した。

静かだ。ここは。
駅の喧噪が嘘のようで。
カタカタ、と、時に風が窓ガラスを叩く以外に、聞こえる音はなにもない。
そして、建物の高い位置にあるおかげで、ガラスの向こうにはただ真っ青な空が。
空だけが四角に切り取られたように。

「…上越が知ったら、喜びそうな場所だ」

お前たち、そっくりだから。
というセリフを言外に感じ、宇都宮は盛大に眉をひそめて見せる。

「あの方にはご内密に願います、東北上官」
「分かっている、心配するな」

分かってるから、と、今一度念を押すと、いきなり素早い動作で宇都宮へと長い腕を伸ばした。
ポンポン、と、頭を叩く。そんな子供をあやすような態度を取られ、宇都宮は驚くよりも唖然となって少し下にある上官の顔を見返した。

「何があったか知らんが、元気を出せ、宇都宮」
「……」
「本線がこれでは、心もとないぞ」
「…上官、あの」
「綺麗だな」
「…は?…」
「窓。まるで蒼の絵の具で描いた絵画のようだ」
「……」
「…我々にはちょうど良い大きさだな、この空。とても落ち着く」
「──!?」
「ちょうどいい」



まったくね。
なんてことだ。

この居心地の悪さときたら。

宇都宮は舌打ちしそうになる自分を懸命に抑えた。

高崎の隣もときどき叫びだしたくなるほど居心地が悪くなってそのたび彼のことが嫌いだとそう自覚するのだが。
この、直属の上官ときたら。
普段は寡黙で実直で単純で、あの悪の権化(に決まってる!)上越新幹線などよりよほど扱いやすい男に思えるのに。

──やってくれる。こんな風にね。

眩暈がするくらい僕のことを追い詰めてくれるよ。くそ。



「そうだな、ここは心を落ち着けるには良い休憩場所だな」
「……YES、上官」
「何かの本で読んだな“人には1日に1度、魂のことを考える場所が必要だ”と」
「……」



ああ。
分かった。
僕がこのひとの前で落ち着かなくなる理由。



まるで空みたいだから。



高い。
広い。

決して触れられない。



だから理解できないのも当たり前。

だって、僕の範疇じゃないからねぇ。無駄な努力をするほど暇じゃない。



「まぁたまにはしっかり休め、それも仕事だ」
「YES、上官」
「ではな」

今度は頭ではなく肩を軽く叩くと、東北は踵を返して廊下の向こうに去って行った。



「…あなたこそ、たまには休んではいかがですか」

そう呟いて大きな背中が消えるのを見届けると、宇都宮はいつもの場所に──窓の脇の椅子に腰を落ち着ける。

「まぁ…僕の知ったことじゃないけど」

そして分相応に切り取られた蒼色のカンバスを見上げる。

視界いっぱいに広がった真四角の空には、一筆書きで書き加えられたような白く長い雲がゆっくりと流れて行った。









先の見えない線路にそって全速力で走ったふたつあたま様からリンク御礼という形でいただいたものです。初対面だったオフ会で「東北上官と宇都宮の話書きますよ。」というなんとも漢前な言葉をいただいて、ヲタクの割に内気でも人見知りでもないこの私が驚いたのと嬉しいのとで思わず息を飲んで固まってしまったのでした。実は返礼(続きないし関連する何か)をつけようとしてずっと温存してしまったのですが、このお話があまりに清冽すぎて何も生めずにギブアップ(涙)。窓から差し込む光と空の情景が象徴する世界観がとても堅固で、横入りなんかできなかった・・・orz
この踊り場は、あの踊り場(上官本線バイブルシーンのラストを飾る、鉄録2のP53)だといいなあ・・・なんて。「それにしたって宇都宮、戻らないねぇ。」えへへ。
ふたつさん、ありがとうございました。