無糖



頭が、痛い。
どうにも不快きわまりなく、痛い。
不快な記憶が纏わりついているのだから、当然なのだろう。
いやな酔い方をしたと、思う。
二日酔いの不快さにも種類があるのだと、知りたくもないことを知った。
休日だからと私服を着て、だが常のように部屋にこもっている気にならずに、レポートの束を抱えてミーティングルームに行った。
ソファにかったるい背を預けて、面倒がって読むことを怠っていたレポートに目をやった時、今いちばん顔を合わせたくない人物の姿を認めた。
直属の上司は、自動販売機で購入したと思われる紙コップに入ったコーヒーを手に、無表情のまま入ってきて、そして宇都宮とは反対側のソファに座った。
顔を合わせてはいないが、距離はきわめて近いという妙な状況になった。
「気分はどうだ。」
「最悪です。」
正直な答えを返す気も必要もない、と思いつつもうっかりそのまま口にしてしまう。
隠すのも面倒なほどに、やはり気分は最悪なのだ。
東北は、手に持ったコーヒーの紙コップを口に持っていき、ごくりと音をたてて飲んだ。
気まずいにも程があるほどの沈黙が、場を支配した。
だがまるで気にするふうも見せず、東北はひとつ大きく息をつき、そして口を開いた。
どちらかといえば、恫喝するに近いような、地を這うような声で東北は言った。
「私を籠絡したいのなら、本気で来い。」
静かな緊迫感が、鉛のように重くのしかかる。
恐ろしげともいえるほどの低い声音で、まるで売られた喧嘩に応えるようなそんな風情で、東北はもう一度その宣言を口にした。
「本気でかかってくるなら、相手になろう。」
端から見るならば、それは今にもタイマン張った一戦が始まるという、そんな様子だったであろう。
やがて、宇都宮が無表情のまま答えた。
「ごめんです。」
不快げに眉を寄せ、否定を強調するように首を振った。
「僕は、勝算のない勝負に敢えて挑むような健全な美学を持っていません。」
これ以上の接触を拒否するという意図を込めて、実際にもう本当にこれ以上関わりたくなかった気持ちもあり、宇都宮は突き放すようにそう言った。
すると、東北が小さく笑った。
あまり表情を動かすことがない男だが、僅かながら、しかし確かに笑ったようだった。
「わからんぞ。」
謹厳をその特徴として知られている彼にあまり似付かわしくない、面白そうに揶揄うような表情を見せて、東北は言った。
「お前の武勇伝は、多少なり聞き及んでいる。」
「・・・・なんですって。」
辛うじて無表情を保っていた宇都宮の顔に、僅かな動揺が走る。
「勝負というのは、やってみなければわからんものだ。」
そう言って東北は、テーブルの上にコーヒーを置いた。
それだけしか、言わなかった。

利害の絡む相手を、策を弄して手の内に落とし込んだことは数えきれない。
寝技に持ち込んだことも、一度や二度ではない。
だが、相当に上手くやったはずなのだ。
そうでなければ、涼しい顔をしてこのなりで生きてはいない。
上手くやったというのはつまり、人に知られないように上手く隠せたということだ。
明るみに出ないよう、上手く運んだはずなのだ。
それを知っているという話は、聞き捨てならない。
だがこの上官とは、差し当たって対立するような利害はないはずだった。
宇都宮の弱味として、そんなものをほじくる理由はないはずだ。
だから。

そんな話を知っているとするならば。
余程の関心を寄せて詮索をしたとしか考えられない。
まさか。

鼓動が、速くなった。
速くする理由などないじゃないかと自分に言い聞かせて落ち着かせようとするが、収まらない。

「私は行く。」
東北は、そう言って立ち上がった。
「まだ残ってますよ。」
紙コップの中のコーヒーを指差して事実を述べると、素っ気無い口調で返事が返された。
「お前にやる。」
そして東北はそのまま立ち去った。
残された宇都宮は、三回深呼吸をした。
もちろん、早鐘を打つ鼓動を静めるためだ。
完全に収まりはしなかったが、多少の落ち着きを取り戻して宇都宮は、東北が置いていったコーヒーの紙コップに目を向けた。
やると言われて喜んで頂戴する気もないので、そのまま捨てるために手を伸ばす。
だが、紙コップを掴んだ瞬間、それに気付いて宇都宮は眉間に皺を寄せた。

東北は、常にブラックコーヒーだった。
カフェで飲もうが紙コップだろうが缶コーヒーだろうが、ブラック以外で飲むのを見たことがない。
だが、この紙コップの中身はブラックではなかった。
ミルクかクリームを混ぜ込んだ、濁った色だ。
宇都宮は、そっとそれに口をつけた。
先ほど東北がそうしていたように、ごくりと音をたてて喉の奥に流し込む。
舌が感知したのは、甘くないミルクコーヒーだった。
砂糖を入れず、ミルクだけ入れて飲むコーヒーの味だった。
駅に置いてある一部の自動販売機で、この選択肢は可能だ。


砂糖を入れずにミルクだけ入れるのは、最近の宇都宮の好みである。


唇をぎゅっと噛み、宇都宮は紙コップを流し台に持っていった。
そして、苛立ちを込めて残った中身をシンクにぶちまける。
空になった紙コップをぎゅっと握ってコップの形を破壊し、それをゴミ箱に投げつけた。

身体が、熱い。
きわめて不本意なことに、熱い。

苛立ちも収めきれず、熱さを持て余したまま、宇都宮はもう一度深呼吸をした。






思わせぶりに酷い上官。(笑)自分から落としにかかる睡蓮さんのうつのみやは、むかし蝶々さんだったんじゃないかという推測のもとにこんなふうにしてしまいました・・・がその割に青いですね(汗)。キスだけで腰砕けちゃうくらい上官が好きだからです。たぶん。